ボロボロのマントを着ていて手にデカイ鎌を持つ死神と遭遇した某市のレジャーランドで起きたカマイタチ

いきなりだけど、10年前に同棲していた彼女の話。
馬鹿にされるかもしれんが、可愛かった。
ただ、夜の時間帯に外に出るのを常に嫌がっていた。
「霊を見ちゃう。」
って。
内心、こいつのおつむ大丈夫か?なんて心配してたが、それ以外は全くもって普通以上。
昼間の街に買い物なんぞ行く時には常に自慢の彼女だった。
ただ、あの日から彼女はちょっとずつ変化してしてきたんだ。
最後には気がおかしくなったんじゃねーのか?って思えるくらいになった。
まぁ、結果ふられたから今となってはヨシとするけど…
10年前の夏、俺が夜勤をしていた時に彼女は友達に誘われたらしく、居酒屋に飲みに行ったんだ。
ただ、彼女は飲めないからひたすらジュースで付き合ってたところ、高校時代の同級生軍団がその居酒屋に来た。当然、盛り上がるわな。
「肝試し行かないか?」
って話になって、霊的にやばい場合はR子(←彼女の名前な)が分かるからーという話になった。
彼女はさんざん断ったあげく、友人女性のお気に入り男性がその同級生軍団の中にいるという事で、彼女は付き合う事にした。
行った先は、ある映画の撮影でも使われていた某市のレジャーランド。
10年前はサバゲの会場にもなってなかったし、パンチパーマの方々に囲まれるという事はまるっきりなかった。
噂を聞きつけた奴らが、毎週のように肝試しに来ると言う噂は聞いてたし、なんせこちらは大人数だから大丈夫と思ったって後から聞いた。
某レジャーランドに着いた途端、彼女は誰かに見られているような気がしていたそうだ。
しかも、その誰かに
「クックック」
と笑われているような感じがした。
彼女「嫌な気がするから、まずいから帰ろう!」
同級生「こんな大人数なのに、よっぽど怖がりなんだなぁ。」
彼女「人数は関係ないの!ホントに帰りたい…」
同級生「大丈夫、みんなの真ん中にいれば平気だよ。それに駐車場にこんなに車があるって事は、中にはいっぱい人がいるって事だから。」
彼女「う、うん。」
とりあえず彼女を囲むようにして、駐車場から料金所(ゲート)に向かったら、彼女は、
「ゲートの上に何かがいる!」
って叫んだ。
当然、周りの奴らは誰も見えないし、ここまできたら信じる気も無し。
唯一、女友達だけが信じてくれたらしいが、女二人騒いだところでどどうしようもなかった。
ゲートの上にいた何かとは…彼女曰く「死神」。
ボロボロのマントを着て、手にデカイ鎌を持っているやつ。
彼女の話だと本当にあの姿のままらしいぞ。信じられないだろうが…
嫌がる女の子二人を同級生たちは手を引っ張ってゲートまで連れていった。
そして、ゲートに入ろうとした瞬間、何人かの男の顔・シャツ・腕は血しぶきを浴びた。
彼女は、その死神に切られたんだと言っていた。
右腕の二の腕部分から肘先10cmにかけてざっくりと。
周りは全く訳分からず、近くの救急病院に行ったがどうして切れたのか説明できずじまい。
警察まで巻き込んでの大騒動となったが、原因は不明。
医者曰く、「カマイタチ」だろうとの事。
夜勤明け、帰ると誰もいないアパートに驚き、携帯に電話しても出やしない。
やーっと帰って来たと思ったら、元同級生の男を何人も引き連れていやがる。
殴っちゃおうかと思ったら、腕には包帯ぐるぐる巻き。
俺はもう何がなんだか分からない状態になってしまった。
そしたら、男たちが急に玄関先に正座して
「無理やり肝試しに誘ってしまい、すみませんでしたぁ!」
って謝り始めたからびっくりした。
ただ、そのあと徐々に彼女の性格が変わっていった。
今思うと、何かが憑いていたのかなとしか考えられない行動をとるようになったんだ。
今まで大事に育ててた猫を急に虐待し始め、あわてて俺の実家に猫を避難させた。
虐待なんてもんじゃない。
普通、皮膚がちぎれそうなほど噛むか?
歯で毛をむしるか?
常人なら絶対にやらないような事をし始めた。
隣町に、除霊で有名な人がいるから行こうと思ったが、
「俺に会いたくない。」
って急に実家に帰ってしまった。
彼女とは、それっきりしゃべってない。
偶然、彼女の親と車ですれ違ったが、物凄い表情で俺の事睨みつけていた。
なにも俺はしてないんですけど…
死神とは?
死神(しにがみ)は、人間を死に誘う、または人間に死ぬ気を起こさせるとされる神。
死に神とも書かれる。
日本の宗教上の死神
仏教においては死にまつわる魔として「死魔」がある。
これが人間を死にたくさせる魔物で、これに憑かれると衝動的に自殺したくなるなどといわれ、「死神」と説明されることがある。
また仏教唯識派の文献である『瑜伽論』には衆生の死期を定める魔がある。
冥界の王とされる閻魔や、その下にいる牛頭馬頭などの鬼が死神の類とされることもある。
神道では、日本神話においてイザナミが人間に死を与えたとされており、イザナミを死神と見なすこともある。
しかしイザナミや閻魔は、西洋の神話のような死神とは異なるとする考えもあり、仏教には無神論に立っているために「死神」の概念はないとする見方もある。
日本の仏教信仰の中で生み出された鬼神や怨霊などは、人間の命を奪うことはあっても、人々を死の世界へ導くことだけを司る「死神」ではないとする意見もある。
人形浄瑠璃での死神
日本の古典においては死神の名は一般的ではなかったらしく、記述は少ないが、江戸時代に入ると、近松門左衛門による心中をテーマにした人形浄瑠璃や古典の書籍に「死神」の名が見られる。
近松の宝永3年(1706年)上演の『心中二枚絵草紙』では、心中に誘われる男女が「死神の導く道や……」と書かれており、宝永6年(1709年)上演の『心中刃は氷の朔日』では、男性と心中しようとした女性が「死神の誘う命のはかなさよ」と語っている。
これらは、死神の存在によって男女が心中に至ることを言っているのか、それとも心中の様子を死神にたとえたのかは明らかになっておらず、「死神」という単語を用いることで生のはかなさを表現しているとの解釈もある。
ほかにも、やはり近松の作品で享保5年(1720年)上演の『心中天網島』に「あるともしらぬ死にがみに、誘われ行くも……」とある。
これは登場人物の商売が紙屋であることから「紙」と「神」をかけ、死に直面する人物の心を表現したものと考えられているが、文面のとおり「あるともしらぬ死神に」と解釈し、作者の近松本人が、死神が存在すると考えていなかったとする見方もある。
古典文学での死神
江戸時代の古典文学には、人間に取り憑く死神が語られている。
天保12年(1841年)の奇談集『絵本百物語』には「死神」の名の奇談があるが、これは悪念を持つ死者の気が、生者の悪念に呼応してその者を悪しきところに導くものとされ、これにより殺人のあった場所では同様の事件が起き、首つり自殺のあった場所ではまた同じ自殺があるなど、人間に死にたくなるように仕向ける憑き物のようなものとされる。
これに近いものに、幕末の随筆『反古のうらがき』において人間に首つり自殺をしたくなるよう仕向けたとされる「縊鬼(いつき)」や、民間信仰における憑き物である「餓鬼憑き」「七人ミサキ」などがある。
江戸時代後期の随筆作者・三好想山による嘉永3年(1850年)の随筆『想山著聞奇集』のうちの「死に神の付たると云は嘘とも云難き事」は、死神の取り憑いた女郎が男を心中に誘う話であり、河竹黙阿弥による明治19年(1886年)上演の歌舞伎『盲長屋梅加賀鳶』も、人間の思考の中に死神が入り込み、その者が自分の犯した悪事を思い起こして死にたくなるという話である。
これらは神よりも幽鬼(ゆうき:亡霊や幽霊のこと)、または悪霊に近いものと考えられている。
三遊亭圓朝による古典落語の演目に『死神』があるが、これは日本独自に考えられたものではなく、イタリア歌劇『靴直クリスピノ(英語版)』、またはグリム童話『死神の名付け親』の翻案と考えられている。
民間信仰上の死神
戦後の民間信仰においても「死神」は語られている。
熊本県宮地町の習俗では、夜伽に出て帰る者は、必ず茶か飯一杯を食して寝なければならず、これを怠ると死神に憑かれるといわれる。
静岡県浜松地方では、山や海、または鉄道で人が死んだ場所へ行くと死神が取り憑くという。
そのような場所での死者には死番(しにばん)というものがあり、次の死者が出ない限り、いくら供養されても浮かばれないので、後から来る生者が死者に招かれるといわれている。
また、彼岸の墓参りは入りの日か中日に行うのが一般的だが、岡山県では彼岸の開けの日に参ると死神に取り憑かれるという。
また入りの日に参った際には開けの日にも参る必要があり、片参(かたまい)りをすると死神が取り憑くという。
こうした俗信の背景には、祀り手のない死者の亡霊が仲間を求めて人を誘うという考え方があったと考えられている。
鎌鼬(カマイタチ)とは?
鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる。
悪神によるカマイタチ
信越地方では、かまいたちは悪神の仕業であるといい、暦(こよみ)を踏んだりするとこの災いに会うという俗信がある。
越後のかまいたちは、越後七不思議の一つにも数えられている(異同もあり、カウントされていない場合もある)。
また、飛騨の丹生川流域でも神によるものと考えられており、その悪神は3人連れで、最初の神が人を倒し、次の神が刃物で切り、三番目の神が薬をつけていくため出血がなく、また痛まないのだと言われていた。
飯綱によるカマイタチ
愛知県東部では飯綱(いづな)とも呼ばれ、かつて飯綱使いが弟子に飯綱の封じ方を教えなかったため、逃げた飯綱が生き血を吸うために旋風に乗って人を襲うのだという。
かまいたちによる傷で出血がないのは、血を吸われたためともいう。
野鎌と呼ばれるカマイタチ
高知県などではかまいたちのような現象は「野鎌(のがま)に切られる」と呼ばれる。野鎌は葬式の際に墓場で使われたまま放置された草切り鎌がなる妖怪だとされている。
徳島県祖谷地方では、葬式の穴堀などに使った鎌や鍬は墓場に7日間置いてから持って帰らないと野鎌に化けるといい、野鎌に遭った際には「仏の左の下のおみあしの下の、くろたけの刈り株なり、痛うはなかれ、はやくろうたが、生え来さる」と呪文を唱えるという。
その他カマイタチ被害と伝承
新潟県三島郡片貝町では鎌切坂(かまきりざか 蟷螂坂とも書かれる)という坂道で転ぶと鎌で切ったような傷ができ黒い血が流れて苦しむという。
かつてそこに住んでいた巨大なカマキリが大雪で圧死して以来、そのようなことが起こるようになった、と伝えられている。
神奈川県では鎌風(かまかぜ)、静岡県では悪禅師の風(あくぜんじのかぜ)と呼ばれる。
西国では風鎌(かざかま)といって人の肌を削ぐものだといい、削がれたばかりのときには痛みがないが、しばらくしてから耐え難い痛みと出血を生じ、古い暦を懐に入れるとこれを防ぐことができるという。
また野外ではなく屋内での体験談もあり、江戸の四谷で便所で用を足そうとした女性や、牛込で下駄を履こうとしていた男性がかまいたちに遭った話もある。
青梅では、ある女が恋人を別の女に奪われ、怨みをこめて自分の髪を切ったところ、その髪がかまいたちとなって恋敵の首をばっさり切り落としたという話がある。
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