横に倒してある墓石にまつわる迷信トリビア
元から横に倒してある墓石を、むやみやたらと起こしてはいけないというのは知ってるか?
なぜ横に倒してあるかというと、それは墓を移したからわざと倒してあるらしい。
地震かなんかで倒れてるのかな?と思い、親切心から墓石を立てた知人がいるが、その日の夜から原因不明の病で寝込んだ。
気のせいだ、たまたまだ、そんな風に思うだろう。常識的に考えて。
しかし、病院に行って薬を貰って飲んでも効かず、検査結果もこれといった異常が見当たらない。
医者も駄目、薬も駄目。
高熱が何日も続き焦った親が、坊さんかなんかを呼んだところ・・・
坊さんが、そいつを一目見て
「墓石を動かしましたか?」
もちろん、親は息子が墓石を起こした話を聞いていないし、坊さんも知るはずがない。
だけど、坊さんはどこともなく上を見つめて、
「お骨はきちんとお引越しをされたのに、また元のところの墓石が立ったので、両方から呼ばれて、体が割かれるようだと怒ってらっしゃいます。
倒してある墓石を立てた、もしくは似たような事をした心当たりはありませんか?」
坊さんの付き添いのもと墓石を元通りにしたのち、息子の病が嘘のように治ったのは言うまでもない。
墓石について
墓石(ぼせき、はかいし)とは、墓のしるしに建てる石材製品。墓碑(ぼひ)ともいう。
墓石を指して墓ということもある。五輪塔、宝篋印塔、宝塔、多宝塔、層塔、板碑も含まれる。
日本の墓石の歴史
日本では、平安時代に仏教の伝来に伴い石工の技術も渡来人によってもたらされ、供養塔や墓石としての五輪塔、宝篋印塔、宝塔、多宝塔、層塔などが支配階級の間で出現した。
その後、鎌倉時代~室町時代にかけて、禅宗の到来とともに位牌と戒名が中国から伝わる。
その影響からか、位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものもつくられるようになった。
江戸時代になると檀家制度が確立し、人々に先祖に対する供養や葬儀、墓など仏事が生活の中に定着したことにより、庶民まで墓石を建立するようになった。
墓石に家紋を入れるようになったのはその頃からである。
はじめ墓石は個人や夫婦の為のものであったが、明治中期以降は家制度の確立により、家単位で建立されることになった。
その為、正面には以前は故人の戒名(法名)を彫っていたものから、「○○家先祖代々之墓」などのような形に変わっていった。
その他、正面には宗派の梵字や名号、「倶会一処」などが刻まれる。
側面には建之日・建之者・故人の命日・俗名などを刻む。
文字の所に墨を入れる場合もある。
墨色は、石の色や地域により白・黒・金・銀などがある。
第二次世界大戦後、霊園の洋型の墓石が登場。
現在ではデザイン墓石など多様化している。
墓石は葬られた人物の生没年や事績などを知る歴史的史料としても活用され、生没年が複数説ある人物の場合は刻まれた年記の歴史的背景を探るための資料としても活用される。
石材である墓石は比較的堅固な史料であるが、長年の歳月により表面は摩耗し、文字の解読が困難となる場合もある。
また、墓地の区画整理により本来の位置から移転することもある。
出典元:ja.wikipedia.org
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