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共産主義者ポルポト派によってカンボジア自国民が虐げられた戦慄の歴史クメールルージュの悪夢

 2016.03.02     海外の怖い話     3件     Loadingお気に入りに追加
ポルポトが起こしたクメールルージュの悪夢
この記事の所要時間: 847

カンボジアのポル・ポト政権、戦慄の歴史について。

カンボジアは北海道の2倍程度の面積の国だ。人口は現在約1千万人。

首都はプノンペン。カボチャはこの国から伝わったのでその名がついた。

カンボジアの歴史は苦難の一言に尽きる。

かの有名な遺跡、アンコールワットが建設された12世紀ではインドシナ半島で最強の国家だったものの、その後は衰退の一途を辿った。

ベトナムやタイに領土を奪われ、第二次世界大戦渦中はフランスの植民地だった。

 

その状況を打破したのが、王族の血を引くシアヌークだった。

大戦後、彼は国際世論を巧みに操り、フランスから国土を解放した。

1953年のことである。

この功績により彼は「カンボジア独立の父」として民衆に敬愛されることになる。

多少独裁の色は濃いとはいえ、彼の手腕で国はそれなりに機能した。

それでも後のポルポトによる圧政時代と比べれば格段に自由な時代で、当時を懐かしむ人々も多いという。

そう、それほどポルポトの時代は酷かったのだ。

 

 

1970年。米ソ冷戦下。

アメリカのバックアップでロンノル将軍がクーデターを蜂起し、シアヌークは中国に亡命する。

クーデターを実際に画策したのはCIA。完全にアメリカのわがままだった。

このアメリカの暴挙には、以下のような背景があった。

1961年からのベトナム戦争で、アメリカは南ベトナムを応援した。

 

腐政に苦しむ南ベトナムの農民&ベトナムの統一を目指す北ベトナム軍

VS

利益を守るために邪魔な共産主義を排除したい南ベトナム軍

 

資本主義のアメリカは、この構図にも関わらず南ベトナムを応援した。

民衆の幸せなんて一切考慮していない。

ただ、北ベトナムの共産主義が気に食わないから南側を応援したに過ぎない。

ベトナムの南側と国境を接するカンボジアとしては、南ベトナムが勝利して力をつけると自国が占領される恐れがあった。

よってシアヌークは、ベトナム寄りのカンボジア領に北ベトナム(解放軍)の補給基地をつくることを暗黙の上で了解した。

これで南ベトナム軍は南北から挟撃される形になってしまった。

 

アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが、国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。

ただ要請するだけではシアヌークは承知しない。

よってアメリカは、経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。

そして、カンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。

ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。

 

この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。

そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。

世界の警察」は随分身勝手なことをする。

むしろ、いない方がいいのでは?

 

ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないのでアメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。

カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。

それと同時に、ロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。

亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。

賛同したのは、ロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。

そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。

 

民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことで、クメールルージュは多数の志願兵を得た。

ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。

ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。

そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒し、カンボジアをロンノル将軍から解放したのである。

ここまでは、ポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。

ここまでは。

 

 

ポル・ポト率いる解放軍は、首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで、強制的に地方の農村部に移すということを開始した。

逆らう者は容赦なく殺した。次々と殺した。

同様の行いが大小含む全ての都市でなされた。

これらはあまりに迅速に実行されたので、国外に逃げられた人はほとんどいなかった。

そして国内を「平定」した後は以下の政策を迅速に施行した。

 

  • 私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
  • 電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
  • バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
  • 全ての教育機関の廃止と書物の焼却
  • 仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止(関係者は全て殺された)
  • 都市市民の農村部への強制移住
  • 家族概念の解体。2~5歳以上の子供は全て親から隔離
  • 自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚

異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。

投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。

徹底していると普通は思うだろう。

これだけでも歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。

しかし、ポルポトはそうは思わなかったらしい。

 

 

次にポルポトは理想国家の建設のために協力者を集めた。

 

『例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。

資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。

それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。

理想国家を作るためには君達の力が必要だ。

大切なのはカンボジアの未来なのだから』

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コメント

    • 名前: 名無し
    • 投稿日:2016/03/08(火) 12:44:56 ID:czNDY4OTg

    要するに全ての元凶はアメリカってわけだ

    • 名前: 怖い名無しさん
    • 投稿日:2016/03/26(土) 18:12:21 ID:A3Mzg0MTE

    元凶がアメリカだとしてもコイツはヒドすぎるわな。

    • 名前: 匿名
    • 投稿日:2016/05/31(火) 20:44:19 ID:U4MzQ2MTg

    中東と同じように地獄道。白人は白人さえ栄村

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