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【閲覧注意】マカオで実際に起きた八仙飯店一家サツ人事件

八仙飯店一家サツ人事件
この記事の所要時間: 75

八仙飯店一家サツ人事件
1985年、マカオ。

 

 マカオが中国に返還されたのは1999年のことであるから、事件当時はまだポルトガル領であった。週末はカジノやドッグレースで賑わうが、普段は小リスボンと呼ばれる静かで平和な港町である。しかしそこで起こった事件は、町の空気にそぐわぬ陰惨なものであった。

8月8日、マカオ北部の海岸で遺体の断片が発見された。まず見つかったのが、手首から先の手のひら2つ。続いて右脚と思われる膝下4本、左脚の膝下2本が確認されることとなる。

その後も断続的に手や踵などがいくつか見つかり、警察はこれらを鑑識に回したが、まだ事件性のあるものかどうかはその時点で明確にされなかった。肉片の人数がやけに多いとはいえ、鮫に襲われたのではないかとの見方も捨てきれなかったからである。

 

 これらの遺体のかけらが八仙飯店と結び付けられて考えられるようになったのは、それから8ヶ月後のことだ。

「マカオで大衆飯店を営んでいた鄭林一家が突然失踪し、商売がたきだったはずの黄という男が今、店を乗っ取っている。海岸で発見された手足と何か関係があるのではないだろうか。調べて欲しい」
という手紙が警察に届いたのがもとであった。

差出人は、鄭の弟である。

中国は大家族で暮らすことが多いが、鄭一家も、鄭林夫妻、5人の子供、母方の祖母、叔母の9人で暮らしていた。失踪したのは、そこへコックの鄭柏良を加えた計10人である。

八仙飯店一家の失踪は近所でもすこしずつ噂になっており、
「そういえば叫び声のようなものを聞いた」だの、
「店内から異臭がしていることがあった」
などの不穏な風評さえ飛び交うようになっていた。

のちに犯人とされた黄志恆もこの近くに飯店を営んでおり、何度か鄭一家とは感情的なトラブルを起こしていたという。そしてなぜか一家の失踪後、店の権利や不動産はいつの間にか黄の手に渡っており、八仙飯店は黄の切り盛りによって経営を続けられていた。

 

 マカオ警察は海岸で発見された肉片をふたたび鑑識にかけた。その結果、採取した指紋は失踪した一家のうち、妻の叔母のものと酷似していた。
黄が身分証偽造の罪により別件逮捕されるのは、9月末のことであった。

のちの調べで、黄は広東省生まれであり、黄志恆は偽名であることが判明する。彼は香港で5年間服役した過去があり、1973年には放火サツ人未遂の罪に問われている。黄の偽名を使うようになったのは、これ以後のようだ(本名は陳梓梁)。

なお指紋も焼き消していたというから、徹底して過去を消す意図があったとみていいだろう。警察が黄をあやしいと思わないわけがなかった。

しかし遺体は手首や膝下などを除いては、あいかわらず不明のままである。
指紋も「酷似していた」と発表されているとはいえ、明確な物的証拠はない。

警察はまず黄が取得した鄭一家の不動産について尋問した。
黄の供述は二転三転し、
「密輸で得た金で買った」だの、
「博打のカタに取り上げた」だのと述べた。

また、一家は移民したのだと彼は主張したが、鄭一家が出国した形跡は記録に残っていなかった。だが黄は一貫して罪状を否認。冤罪だと訴え続けた。

 

 独房の中で、しかし黄は次第に精神の均衡を失っていく。独り言をぶつぶつ呟いていることが多くなり、空笑いをし、突如泣き出す。それを見ていた看守の報告により精神鑑定がなされたが、特に異常は認められず、黄はまた独房へ戻された。

しかしある夜、黄は悪夢にうなされ、
「あいつらが来る、おとなと子供の10人、奴らが来るんだ」
とわめき散らし、糞尿を洩らしながら自分の舌を噛み切った。
発見が早かったため命に別状はなく、黄は退院後は自殺阻止のため大部屋送りとなった。

このとき黄が大部屋で洩らした独り言、寝言、錯乱してわめいた言葉の内容が「実質上、この事件の概要」として知られているものである。
同部屋の囚人から聞いた話をもとにマスコミがまとめ上げたところによると、鄭一家が賭け麻雀の負けを溜め込み、それを支払わなかったことがもとで黄が逆上したのだという。

黄は真夜中に寝入っている一家を襲い、縛り上げ、皆殺しにした。
遺体は厨房で解体し、人肉でスープを作った(遺体のほとんどが見つからなかったため、肉を饅頭の具にしたという説も流布された。この説をもとに『人肉饅頭』という映画が作られた)。
切り刻んだ遺体は黒のビニール袋へざくざくと放り込み、無造作に遺棄した。それが海岸に流れ着いた経緯は不明である。

 

 黄の錯乱は進んでいった。悲鳴を上げて暴れ回り、糞便を食べようとしたり、夜中になると大声で叫び狂った。精神安定剤や睡眠薬を投与しても、薬がきれればまた暴れ出す。食事もせずに栄養は点滴でとり、この時点ですでに完全な狂人であった。

そして鉄製のゴミ箱の角で手首を切り、二度目の自殺をはかる。20針も縫う大手術であったが、このときもやはり彼は死ねなかった。
退院してきた黄は顔の相が変わり、別人のようだったという。
黄は大部屋へまた戻されたが、そこで傷口の縫い目を自分でほどき、またも自殺をこころみる。

10月2日、黄は明らかな精神異常にもかかわらず、起訴された。
その3日後、黄は自分のベッドで、もう一度手首の動脈を缶ジュースのプルトップで切り開き、ようやく自殺に成功した。真夜中のことであった。

 

 しかし今も謎は多く残る。事件の供述はひどく曖昧なものでしかなく、物的証拠はほぼ皆無といっていい。

黄の発狂と自殺によって事件は幕を閉じたが、そもそもあの遺体の断片が本当に鄭一家のものであったかどうか、それすら完全な確証はないのである。
黄がまったくの無実であったとも思えないが、この風評通りの概要であったかどうかは定かではない。

古代中国には食人の習慣があったと言い、1950年代と60年代にも、それぞれ人肉で肉饅頭を作り売るという事件が起こったとされている。
そのような過去の背景から、人々が八仙飯店事件を人肉食事件として受け入れたのは理解できるし、黄が死体処理法にそれを選ぶのも、さして突飛なことではなかったのかもしれない。だが真相は藪の中だ。

ただ確実なのは、10人もの人間が飯店で突如消えうせてしまったことと、その後も飯店ではしばらく料理が出されていたこと。
それだけである。

画像出典元:nohouz.blog.fc2.com

八仙飯店一家殺害事件について

 八仙飯店一家殺害事件とは、1985年にマカオで発生したサツ人事件。容疑者の黄志恒(繁体字表記: ?志恆)が、中華料理店、「八仙飯店」の経営者一家及び親族の9名と従業員1名を殺害したとされ、犠牲者の年齢は7歳から70歳までに亘る。事件翌年に容疑者が摘発された後、容疑者が犠牲者の遺体を叉焼包にして店で販売していたと噂されるようになり、香港とマカオで一時大々的に騒がれた。

 容疑者の黄志恒は、拘留中に炭酸飲料缶の蓋を使用したリストカットで自殺した。他に共犯者がいたかどうかは依然不明である。また、この事件を基にして多くの映画、テレビドラマ、漫画も制作された。

 

 黄の自殺後も、警察は10名の失踪者の遺体の残りを発見できなかった。発見された11体の手足の内、1体の指紋が陳珍のものと似ていることから、これらが鄭林一家10名の遺体であるとされたが、残りの遺体がどのように処理されたかを巡って、世間で長年にわたりさまざまに推測されてきた。

 また、現在一般的に流布している以上のような殺害の動機と経過も、事件当時のマスコミによる推測も含んだ報道を根拠としている。マカオのメディアは、黄が自殺前、他の拘留者に上述のような経過を告白したと伝えており、遺体の一部はスープにして店で売られたとも伝えている。

現在、明らかになっているのは以下の点である

  • 事件時、陳珍の自宅にいた30歳くらいの男は黄とは別人だった。
  • 遺体の化学的調査から、犠牲者の死因は毒殺ではない。
  • 事件発生時は盛夏であり、遺体処理までの間に相当な腐臭が発生したはずであるが、腐臭について当時訴えた人はいない。
出典元:ja.wikipedia.org

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