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育児放棄され13年間部屋に閉じ込められていた少女にまつわる後味の悪い話

 2017.03.08     海外の怖い話     3件     Loadingお気に入りに追加
イジメ、鬱病、悲しい、女の子
この記事の所要時間: 612

後味の悪い話 その168

725: 本当にあった怖い名無し 2017/02/17(金) 04:35:26.19 ID:PeptLnn60

【アメリカ】育児放棄され、13年間部屋に閉じ込められていた少女

人間と言う 勝手気ままな動物に見放された少女のお話。

ジーニーは13歳になるまでひとつの部屋に監禁されていた。
おまるに縛りつけられ、寝るときは寝袋に入れられ、
父親はジーニーがなにか言うと怒鳴り、殴りつけておとなしくさせた。
父親はジーニーの母親や兄弟たちがしゃべることも禁じていた。

そのせいでジーニーは「やめて」、「もういらない」というような
簡単な言葉以外ほとんど話すことが出来ず、
20前後のフレーズしか知らなかったという。
1970年に発見されたが、彼女が本当は13歳で虐待の被害者だと
解るまで、ずっと自閉症だと考えられていた。
今では孤立児の最悪のケースとされている。

ジーニーはロスの子供病院に収容されて治療を受け、
イエスノーで質問に答えたり、自分で服を着ることを覚えたが、
うさぎのような奇妙な歩き方はなかなか治らず、
やたらものを引っ掻いたりした。セラピストのデイヴィッド・リグラーと
4年間暮らし、言葉を話さなくてもコミュニケーションがとれるよう
手話や絵を描くことを教わった。

それから母親と暮らすようになったが、新たに引き取られた
新しい里親に虐待されてまた言葉が退行し始めた。
現在、ジーニーには南カリフォルニアのどこかで生活しているという。

 

726: 本当にあった怖い名無し 2017/02/17(金) 04:44:57.80 ID:PeptLnn60

こっちの方がいいかな?

ジーニー (隔離児)
ジーニー(Genie、1957年4月18日 – )は、13歳まで部屋に監禁されて育ったアメリカの少女。孤立児(人間社会の中にありながら、人間関係の中から全く隔離されて育った子)と呼ばれる。
もっとも典型的な例は、カスパー・ハウザーである。また広い意味での野生児(人間社会から隔離された環境で育った子ども)に相当する。
なお、ジーニーはプライバシー保護のための仮名である。ジーニ、ジェニーと表記されることもある。

救出されるまで

ジーニーは1957年4月、カリフォルニア州の家庭に4番目の子どもとして生まれた。
ただし上の3人の子どものうち2人は虐待が原因の肺炎や血液型不適合ですでに死亡していたため、ジーニーの兄弟は兄が1人いるだけだった。
生後1歳2ヶ月頃、医師に「正確には分からないが、発達が遅れているかもしれない」と診断され、それを過剰に意識した父親クラークはやがてジーニーを部屋に監禁するようになった。

ジーニーは暗い裸電球一つの寝室の中で便器付きの幼児椅子にしばりつけられ、体のほとんどの部分を父親自らが作った締め具により拘束された状態で裸のまま放置された。
夜は寝袋の中に入れられることもあった。父親は音に敏感だったため、ジーニーが少しでも音や声をたてると彼女を殴った。
食事はベビーフードとオートミール、たまに卵が与えられた。彼は、こういったジーニーとの接触の時けっして言葉をかけず、かわりに野生のイヌのように吠えたり唸ったりした。
また、爪を伸ばして彼女をひっかいたり、歯をむきだして彼女を威嚇した。ドアの外で父親が唸ったり吠えたりする恐ろしい音が、部屋に閉じ込められていた数年間にジーニーが聞いた殆ど唯一のものだった。

 

727: 本当にあった怖い名無し 2017/02/17(金) 04:46:06.73 ID:PeptLnn60

母親アイリーンは目が悪く、父親に対して逆らうことができず、他の誰かに相談するために電話をかけることも満足にできなかった。
ジーニーへの虐待は長期間続き、父親は母親に対して「ジーニーが12歳まで生き延びたら、彼女を助けてやる」と約束していたが、実際には彼女が12歳になっても約束は守られなかった。
1970年、ジーニーが13歳半になったころ、母親は父親との激しい口論の末、ジーニーを連れて家を脱出した。
ジーニーと母親は祖母の家で3週間過ごしたあと、援助施設を訪れ、事件が発覚した。1970年11月17日、新聞がジーニーのことを報じた。
両親は児童虐待の罪で告訴されたが、父親は出廷を命じられた11月20日に拳銃で自殺した。

救出後の生活

ジーニーは救出後、ロサンゼルスの子供病院に収容され、そこでしばらく過ごした。当初は身長137cm、体重26.7kg。
これまでの人生の大半を椅子に拘束されて過ごしてきたために筋力が無く、歩いたり走ったりすることはおろか立つこともできなかった。
また、固形物を咀嚼できず、排泄の習慣も無かった。
言葉を話すことはできず、ごくわずかな簡単な単語や命令文を理解できるのみだった。

歩けるようになってもその方法はぎこちなく、「うさぎ歩き」(bunny walk)と呼ばれる奇妙な歩行になってしまった。

ジーニーの住処はその後めまぐるしくかわっていった。ジーニーは、ジーン・バトラーという養護学級の女性教師と仲良くなり、1971年7月7日からしばらくの間、一時的に彼女の家で生活したこともあった。

 

728: 本当にあった怖い名無し 2017/02/17(金) 04:47:07.39 ID:PeptLnn60

バトラーは正式にジーニーに里親となる申請を行ったが却下された。その後、心理学者のデービッド・リグラーとその妻マリリンが里親になることが決定し、1971年8月13日にジーニーはリグラーの家へ引っ越した。
マリリンの指導によってジーニーは食事の作法などを少しずつ身につけていった。

1974年には国立精神衛生研究所(英語版)が研究費の打ち切りを決定する。
翌1975年6月、リグラーは里親をやめることを決意し、ジーニーは母親のアイリーンに引き取られる(アイリーンは1971年夏に手術を受けて視力を取り戻していた)。
ジーニーは母親になついてはいたものの、母は彼女の乱暴なふるまいに耐えられず、11月7日には新しい里親に引き取られることになった。
その家では今までになく厳しく躾がなされ、ジーニーは母親に会うことを許されなかった。
ジーニーはストレスから退行しはじめ、身につけていたはずの生活習慣も捨て、言葉もあまりしゃべらなくなった。
この状態に危機感を持ったカーティス(言語学者、後述)がリグラーらをけしかけて、1977年4月、ジーニーを病院に入れさせる。
2週間後、ジーニーはまた新しい里親に引き取られるがそこでの生活も長くは続かず、クリスマスの頃には2度続けて引越してさらに新しい里親に引き取られる。
その後、1978年3月20日には母親アイリーンが娘の監督権を取り戻し、ジーニーは知的障害者のセンターで暮らすことになった。

2008年現在、ジーニーはカリフォルニア南部の施設で暮らしている。アイリーンは2003年に死去した。

 

引用元: http://hayabusa6.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1482271466/

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コメント

    • 名前: 怖い名無しさん
    • 投稿日:2017/03/08(水) 04:50:53 ID:UwOTM0NzA

    うーん(゜-゜)
    こんなの言葉が見つかるか
    ムナクソすぎ

    • 名前: 怖い名無しさん
    • 投稿日:2017/03/09(木) 13:20:13 ID:g1NTAwNjE

    保健体育の副読本にも載るくらい有名な事件
    子供の人格形成にとって教育がいかに大事かを示す極端な例
    ここまでひどくはなくても肉体的あるいは精神的虐待またはネグレクト等によって
    人格に問題を抱えている者は相当数存在する

    • 名前: 怖い名無しさん
    • 投稿日:2017/03/14(火) 18:08:16 ID:A0MTY2ODM

    ジーン・バトラー先生の里親を認めなかったのは何故なんだぜ?
    と思ったけど独身だったから、収入面、他に育児など頼れる人がいない、とかかな。

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