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池袋サンシャイン地下街と巣鴨プリズン

 2014.12.03     本当に怖い場所     2件     Loadingお気に入りに追加
この記事の所要時間: 247

有名な話かもしんないですけど、池袋のサンシャインの地下街って巣鴨プリズンがあったせいか、結構、出るんですよ。

僕も、地下のマックでバイトしてたんですけど、店のレジ番とかいいんですけど、肉とかバンズとか切れて奥の倉庫にとりに行くときとか、早番で人がほとんどいなくて、店の掃除とかしてるときが怖いんですよ。

最初の頃に、閉店後の掃除とかしてると、真横の通路でかつかつって足音が、聞こえたりするんで、先輩に話したら、あー気にしないでとかいうんですよ。

あまりに、そういう事が多いんで、地下街でお店やってる人達は、慣れちゃって平気みたいです…

でも、倉庫で、4、5人の足音が周りでした時は、さすがに凍りついたよ~

 

▼補足
池袋サンシャインシティの敷地が、元は「巣鴨プリズン」と呼ばれる場所であった。
その「巣鴨プリズン」とは、現在は葛飾区小菅にある東京拘置所の前身であり、戦後GHQによる東京裁判で東条英機ら7名の戦犯を処刑したことで知られている。

 

前史

かつてこの地には巣鴨監獄・巣鴨刑務所(1922年改称)があった。
関東大震災(1923年)で被害を受けた巣鴨刑務所は東京府府中に移転することになり、1935年に移転。
その跡地に庁舎が新築され、1937年、未決囚を主に収容する市谷刑務所が移転し、普通刑務所と区別するため「東京拘置所」と改称された。
なお、敷地は巣鴨刑務所時代の約3分の1に縮小された。
第二次世界大戦中の1944年には、ゾルゲ事件の主犯とされるリヒャルト・ゾルゲおよび尾崎秀実の死刑が執行された。
彼らのほか、当時の同拘置所には主として共産主義者等のいわゆる思想犯や、反戦運動に関わった宗教家等が拘置されていた。

米軍管轄下のスガモプリズン

1948年12月の巣鴨プリズン

第二次大戦後にはGHQによって接収されて、スガモプリズンと呼ばれ、戦犯容疑者が多数収容された。
米軍は情報戦の一つとして、監房に盗聴装置を設置し、戦犯たちの会話を盗聴していた事が後年明かされている。
1947年2月、既決囚の労働が本格化し、A級戦犯・60歳以上の高齢者・病人以外は全て就労を命じられた。
プリズン周辺の道路整備や運動場、農園、兵舎・将校用宿舎建設等の重労働を命じられ、午前と午後に1回ずつある5分の休憩と昼食時の休憩時にしか休めない。
私物は一切禁止で、全て制服着用で行わなければならない。
長い拘禁生活と裁判の疲労で体力の落ちた戦犯たちには重労働で「こんなことならいっそ死んでしまえばよかった」との声もあった。
この重労働が2年続き、完成に至ると、戦犯たちは信頼を勝ち取り、減刑などの恩恵を受けた。
新聞、雑誌、本などの閲覧、上野図書館からの借り出しも許可された。ラジオも定期聴取でき、映画も週に一回鑑賞出来た。
1948年12月には、極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東條英機ら7名のA級戦犯の死刑も執行された。
1949年から始まった朝鮮戦争で米兵が出兵するため、1950年8月、日本人刑務官が着任した(米軍の監理下で警備にあたった)。
なお、最も収容者数が多かったのは1950年1月時点で、1862人の戦犯が収容されていた。

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コメント

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2015/05/06(水) 23:18:00 ID:M4NTU1ODM

    サンシャインシティ超こえーよw

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2015/06/25(木) 11:24:55 ID:M5OTczNDg

    私もサンシャインシティに行ったとき、嫌な空気?や耳鳴りがして、事故でもあったのかと思ったのだけど…
    監獄の跡地だったんですね…

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