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チャットレディバラバラ事件

この記事の所要時間: 720

私の体験談ではないので、語り口調で。

『チャットレディ』という仕事がある。

自分の住居にカメラを設置し、24時間私生活をネット上で流す、というものだ。

主に某事務所専属の“モデル”ということになっているが……。

カメラの台数や位置、特に脱衣所やシャワールームに設置すると、給料が増すというオプションがあるらしい。

これは友達の友達に聞いた話である。

Aという男の――そう、この話は、チャットレディを見る側の男の話だ。

 

Aは大学を中退してから、特にアルバイトもせずに親の仕送りを頼りに生活していた。

都内のワンルームマンションに一人で住み、日がな一日、回線の向こうにいる女性の生活を眺めていた。

彼女は、ウェブ上ではNANAと名乗っていた。

流れてくる映像はリアルタイムらしいのだが、音声はない。

彼女を雇っている会社のホームページには、NANAのプロフィールがある。

それによると彼女は現在20歳。

身長168センチ。

B83 W53 H85。

1DKのアパートに住んでいる。

職業は言わずもがな“モデル”だ。

それ以外には仕事をしていないようで、彼女が家を空けるのは、もっぱら買い物のときだけだった。

 

NANAは撮影されることを楽しむように、カメラに向かって笑顔を見せたり、ピースサインを送る。

音声が流れないため、彼女は時折スケッチブックにメッセージを書いて、カメラの前に向けることがあった。

それらのリアクションは、Aという男に対してではなく、不特定多数の男性を意識した愛嬌に過ぎないだろうが。

出先から帰宅したNANA。

食器を洗うNANA。

洗濯物をたたむNANA。

中でも入浴時を眺めるのがAは好きだった。

NANAは玄関、キッチン、ダイニング、そして脱衣所にカメラを設置しているのだ。

入浴シーンは、ユニットバスのため見られない。

さすがにトイレまでは見られたくないのだろう。

脱衣所のカメラが映し出す映像を、Aは食い入るように見つめる。

脱衣所には洗濯機を置くスペースが見えるが、今は何も置かれてはいない。

NANAは洗濯をコインランドリーで済ませている。

以前に
「そろそろ洗濯機を買いま~す」
とスケッチブックに書き込んだことがあった。

壁には目立つ傷が付いており、洗濯機を置けば見えなくなる。

彼女もその傷が
「むかつく~」
らしい。

 

NANAを見つめるようになり、何週間か経過したある日の夜。

Aは買い物から帰宅し、恒例のようにパソコンを立ち上げてNANAの部屋を覗いた。

1時間ほどしても、彼女は現れない。

部屋の証明は落ち、暗い。

NANAは連日家に籠もっているわけではないのだから、それは珍しいことではなかった。

大方買い物だろうと思い、Aは彼女の帰宅を待った。

数時間後、ようやくカメラの前に人影が現れた。

部屋の照明が瞬き、彼女の住まいを照らした。

カメラの前に現れたのはNANAではなく、男だった。

友人か、それても彼氏か。

これまでにモニターにNANA以外の人物が映ることはなかった。

そもそも彼女の交友関係をAは知らないのである。

 

男は長身で、極度の猫背だった。

腕をまくった黒いトレーナーに、黒いジーンズ。

耳まで隠れる長髪は脂にまみれ、汚らしい光沢を放っていた。

カメラの存在に気づいているのか、モニターには顔は向けない。

男は部屋を徘徊し、首を巡らせている。

何かが、男の右手で光った。

異様に毛深い右手には包丁が握られていた。

刃渡りが20センチ以上ある。

誰だろう……NANAの恋人で、何か揉めたのか?それともストーカーか?どちらにせよ、包丁を持った男なのだ、穏やかではないだろう。

と、男はやおら押し入れの襖を開け、するりと中へ潜り込み、襖を閉ざした。

それから、1分もしないうちにNANAが帰宅した。

 

待て、部屋には男がいる。

そう彼女に伝えようにも、NANAは回線の遙か先、Aの知らないどこかにいるのだ。

NANAは部屋に入ってくると、点いている照明を見上げて、おや?と首を傾げた。

――あっという間に、それは起こった。

押し入れの襖が開き、男がNANAの背後に素早く取り付く。

ふいを突かれたNANAの首に、包丁が深々と突き刺さる。

抵抗する間もなく、NANAは痙攣し、力を失い、前のめりに畳の上に伏した。

男は倒れたNANAを、何度も何度も包丁で突き刺す。

部屋が飛び散った血で真っ赤に染まる。

男はNANAの身体をビニール袋に詰めて押し入れの天井部へと隠した。

そしてモニター――Aの視界から消えた。

 

これは、今の映像は……現実なのだろうか。

もしも、現実だとすれば、自分は大変な事態を目撃したことになる。

警察へ通報すべきだろう、とAは考えた。

しかし頭のどこかで、やはりあれは演技か何かではないか、と願っていた。

結局Aは、警察ではなくNANAを雇っていた会社へ連絡した。

しかし、そのライブチャット配信サービスを提供していた会社は、すでに倒産していたのである。

ネットを通じて、数々の裏を取ったが、倒産していることは疑いようがなかった。

Aがこれまで見ていた彼女の映像は、24時間リアルタイムで流れていたはず。

だとすれば倒産した会社が映像を流していたことになる。

もしくは、過去の映像が何らかの形で残っていたのか……。

 

恐る恐る、AはNANAの事件が本当に起こった出来事なのかを調べた。

しかし過去の強盗殺人や、類似した事件を検索してもそれらしい記事は見当たらない。

やはりあれは、作り物の映像だったのか?AはあらためてNANAの部屋を覗いた。

ハードディスクに保存していた過去のいくつかの映像を呼び出す。

見つめ始めた初日から惨劇のシーンまでを見る。

偽物とは、思えなかった。

 

大きく息を吐き、Aは畳の上に仰向けに倒れ込んだ――そしてそれを発見した。

天井に付いた小さな染みを。

よく見なければ気づかぬほどの染み。

よくよく天井を眺めると、いたる所に同様の染みが見つかった。

赤黒いそれは、まるで血の跡のようだった。

照明……どこかで見覚えのある形をした、明かり。

ふと、NANAの部屋を思い出す。

何台ものカメラを設置していた彼女の部屋。

この天井、どこかで見たことがないか?まさかな。

嫌な予感が、鎌首をもたげる。

Aは今一度モニターの中のNANAの部屋を覗いた。

そして惨劇のシーンを見終え、ごくりと唾を飲み込んだ。

飛び散った血は天井にまで達している。

照明からぶら下がった紐が揺れている。

紐は、自分の部屋と同じ形の照明へとつながっていた。

Aは彼女の部屋から、NANAの姿を意識的に除外し、思い起こす。

キッチンから右方向へ向かうと脱衣所。

脱衣所の左手にあるドア。

蛇口の形。

自分の部屋と、同じ間取り……。

Aは脱衣所にある洗濯機の裏をそっと覗いた。

NANAの住まいにあった壁の傷。

それと同じ形の傷が、あった。

 

まさか、ここはかつてNANAが住んでいた部屋なのか?そんな馬鹿な。

押し入れの天井にNANAがいるとでも?Aはリビングに戻り、天井を見上げた。

細切れにされた彼女が、24時間、リアルタイムでAを観察している。

そんな感覚に襲われる。

「妄想だ」
とAは呟き、モニターを見つめた。

するとそこには、見覚えのある部屋が……Aの部屋が映っていた。

Aが帰宅する前の部屋が。

そして部屋をうろつく男の姿がはっきりと映っていた。

男は押し入れの襖を開け、潜り込んでゆく。

そういえば、帰宅してから電気のスイッチを点けた記憶が無い。

そうAが思ったとき、押し入れの襖が、すーっと開いた。

そして隙間から、異様に毛深い腕が見えた。

その手には、包丁が握られていた………。

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