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自ら命を絶った女性が遺した歌集

この記事の所要時間: 247

私が実際に体験したことです。

今から25年前、私は東京の神田にある某私立大学の学生でした。

住居は千葉県松戸市の馬橋という所にあるアパートを借りていました。

営団千代田線で馬橋駅から新御茶ノ水駅まで約30分かけて学校に通っていたのです。

5月のある日、講義で教授に指定された本を購入しようと、神保町の古本屋街に足を運び、その本を探していました。

新品なら大型書店ですぐ入手できたのですが、何しろ当時の私は貧乏学生で新品で三千五百円もする、その『○○○○○』という本を買うだけの経済的余裕もなく、脚を棒のようにして必死でその本のお古を探していました。

世界に類がないといわれる、書店だけで形成された街、神保町はあまりにも広大で深く、一介の学生が求める一冊など大洋の中の一滴に等しいものです。

歩いて書店巡りをしているうちに、もうどうでもいいや、という気分になり、缶コーヒーを一本買い、ひとけのあまりない小路に腰を下ろし、飲みながら休んでいました。

すると何故か目の前にある、詩集や歌集、句集などを専門に扱う書店の店構えが気になり出しました。

今から考えると何故、詩や短歌、俳句など自分が全く関心がない分野のものを扱う店が気になったのか、本当に不思議で仕方がありません。

缶コーヒーを急いで飲み干し、その店に入ってみました。

店内には床から天井までびっしりと詩集や歌集などの類の本が積み上げられ、陳列されています。

紙かインクの匂いでしょうか、古本屋独特の甘い匂いがします。

書棚に手を伸ばし、手に取った一冊は今でも忘れもしません。

『○○○○○』という歌集です。

 

 

著者は○○○という女性でした。

奥付にある「著者略歴」を見ると、1971年に自ら命を絶っています。

短歌などに全く興味がないのに何故かその歌の幾つかにひかれ、500円の値段が貼ってある、聞いたことのない出版社(たぶん、自費出版か何かだったのでしょう)から出された歌集をレジに持って行きました。

いかにも文学者くずれといった風情の店主は本を紙袋に入れながら、

「この人は可哀想なひとでねぇ。学生運動が盛んだった頃、ある大学の党派に所属していて、仲間にスパイを疑われ、厳しい査問にかけられて精神に異常をきたしちゃったんだよ。子供の頃から文学の才能があって、短歌を暇を見つけては作っていたらしいんだ。ところがそんなわけで、常磐線に身を投げちゃったんだね。亡くなった後、遺族がその子の遺した短歌を整理して出版したのがその本だよ」

私は重苦しい気持ちになりながらも、その本を受け取り、とりあえず松戸のアパートに帰りました。

途中のコンビニで買った弁当を食べて、買ってきたその本を開いてみて、私は心臓が止まりそうになりました。

 

 

 

 

 

最初のページから最後のページまでびっしりとゴシック体の文字で、葬式の時に貼る

「忌中」

「忌中」「忌中」

「忌中」「忌中」「忌中」「忌中」

の文字で埋め尽くされていたからです。

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